インデックス変速
シマノインデックスシステム( SIS)1984年発表、85年に普及開始。 シマノインデックスシステムと聞くと『インデックス』はシマノから生まれたものかと思う方もいるかも知れませんが、インデックスとは機構の事で歴史は三百年前からです。 送れること数年、1987年サンツアーがインデックス変速アキュシフト(AccuShift)を発売。 お店を始めた頃とにかく色々な事を調べまくっていました、だいぶ忘れてしまいましたが笑。 当時、何で数年もの期間がかかったのかな~と思って調べた事をふと思い出したので、AIさんに上手に説明して頂きます。 1. 自社が持つ「スラントパラレログラム特許」の満了による慢心 これが最大の悲劇の引き金でした。サンツアーは1964年に、変速機が斜めに動くことでギヤの歯との距離を常に一定に保つ 「スラントパラレログラム(傾斜平行四辺形)機構」 を発見し、世界特許を持っていました。これにより、当時のフリクション変速(感覚で合わせる変速)において、サンツアーは世界一の変速性能を誇っていました。 シマノを格下と見ていた: サンツアーの技術者たちは「変速機の基本性能はうちが世界一。シマノがレバーにカチカチ(インデックス)を付けたところで、おもちゃのようなものだ」と高を括っていました。 特許の失効: しかし、SISが発表された直後の1984〜1985年頃、このスラントパラレログラムの特許が満了します。シマノはすかさずこの機構を自社のディレイラーにコピーし、さらに精密な「SIS」へと進化させました。サンツアーは、最大の武器を失うと同時にシマノに追い抜かれるという事態を予測できていませんでした。 2. 「単品」の職人技と「トータルシステム」の壁 サンツアーは、他社製パーツ(ハブやチェーン、ギヤなど)と組み合わせても高い性能を発揮する「懐の深いディレイラー」を作る伝統的なパーツメーカーでした。 対するシマノは、レバー、ワイヤー、ディレイラー、チェーン、そしてギヤの歯の形状にいたるまで、 すべてを自社製品で統一して連動させる「トータル・システム・コンポーネント」 という全く新しい概念でSISを設計しました。 設計思想の転換に時間がかかった: サンツアーがアキュシフトを開発しようとした際、ディレイラー単体だけでなく、フリーホイール(ギヤ)やチェーン、さらにはワイヤーの硬さ...

